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興味半分の極み管理人―ヒジリの行き当たりばったりな日々の一端を載せております。
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 DQ9が神や御使いの話になっている事からか、何故か最近”神”についてちらほら考えていたりします。

 …正直な話、無神論者の方に傾いているので、巷で囁かれている神と呼ばれる者達を、私は”神”とは認識していないです。人型の者ならば”人間”、獣型の者ならば”動物”…とか。ちなみに妖精なども人間扱いです。
 天使が人間とは本質的に違うDQ9の設定はこうした価値観とは違うのですが、うーむ…やっぱり今後のDQの二次創作の世界観ではその辺りも意識するべきだろうか…。超越者とか異次元の存在とかを上手く描写できる自信がない、というか求めし道でもずいぶんと転んでますし。

 ともあれ、意思を持っているという時点で、神も人間もそう変わらない存在ではないかな…と。どれだけ崇高なる使命を帯びた者でも、己の意思を以って世界を断ずるというのであれば、人の成すそれと変わりない気がする。私には、神にあたる者が実は”神官”の類に過ぎないのではないか、と思えるのです。

 意思のない者こそが、本当の意味での神となれる。それは辺りに漂う空気であったり、燃え盛る太陽のほんの一欠けらの光であったり、或いは人間の肉体に流れる血の一滴であったり…そうした小さい物にこそ神が宿る。決断する事無しにこの世の理に対して干渉し続ける、一つ一つが不滅の小さな存在。人も物も、それが寄り集った結果できた産物に過ぎない。本当の意味で、世界を断ずる事が出来る権限など、誰も持っていない。

 人も天使も、はたまた”神”でさえも、所詮は小さな神々によって機運の果てに作られた存在でしかない。




 人の口から唱えられている物の道理を素直に信じ切る事も出来ないけれど、唯一神ないしはそれに準ずる者なんてものがいるとも思えない。
 ”神”を名乗る者達は、あくまで小さな神々の流れを管理する力をたまたま持った者でしかない。けど、大きな力を持った者であるから人々からは神と崇められる。

 祀られる神は確かに大きな権限を持っている。でも、意思を以って世界に手を差し伸べたり或いは破壊したりするのは、人間の蛮行とさして変わりがない。だから、神も人から大きく超越した存在には成りえない。本当にこの世の行く末を決めるのは、目に見えなくても常に回りに在って世界を形作っている小さな物の動きじゃないか…と。




 神に関する設定は…深く掘り下げて考えると余計訳が分らなくなりそうですが、考えていて楽しい気がします。
 面白いのか頭痛いのかわからなくなってきた(壊)


 で、何だか勢いで撮ってしまったのが続きに。

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 古びた携帯からの撮影での低画質で失礼します。


 

 ネールです。この前描いたイメージ画は結構失敗作でした。
 後で確認したら髪型が大分違うのが判明しましたが、紫髪と紫眼が彼女と共通してしまったらしいです。メガネも赤じゃなくて黒…ですが。
 うーん…いっその事素手スキル極めてこのカッコで大暴れさせてみようかな…(笑)

 鳥山明先生の原作をもっと読んでみたくなった今回のおふざけでした。
 
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